私は本を読むのが好きで、特に小説は月に5冊から10冊。
面白かったというだけでなく、後々も読み返したくなる本に出会うこともあります。
そういう本の特徴って何だろうって考えたとき、思い浮かんだのが余白、そして余韻でした。
難解すぎて想像が間に合わないところまでいくと、よく分からなかったで終わってしまうのですが、分かりやすすぎるのも物足りないといいますか……
考える余地、想像から生まれる自分だけの楽しみというのがあると思っています。
それは美容にもいえそうだなと。
20代、美容部員として百貨店の化粧品売場で働いていた頃の私は、できる限りの完璧をキープしてないと不安でしようがなかったのです。
今でも商業施設のトイレに入ると思い出す光景があります。
百貨店の従業員用トイレ、特に昼食後のトイレの鏡の前。各々のブランドの制服を身にまとった私たちは、短い休憩時間で必死にメイクを直したものでした。
アイメイクはそこまで崩れないので、まずやるべきはベース。崩れや乾燥で化粧のり悪ければ、乳液などで目から下を落としてベースからやり直します。
ポイントメイクもちょこちょこ直して、仕上げはリップ。
みんなそれぞれのメイク直しの決まり事を忠実に実行していたようでした。
崩れたメイクで店頭に立つわけにもいかないし、まだまだ皮脂分泌盛んな20代、ほんとに必死でした。
でもまあ、これは自分がモデルとなって化粧品を売るという立場上、当然ともいえるのですが。
美を職業としている人ならではのプライドですね。
でも実際にきれいだなと思う人、きれいだと感じる瞬間って、完璧だからではない。(すごいという賞賛はあると思います)
ちょっと昔を思い出して話がそれてしまったのですが、
表情、自然な肌艶、雰囲気と呼ばれる曖昧なもの。
全部を書きすぎない小説と同じで、完璧すぎない、どこか抜けのある美のほうが、創造力がかきたてられる。
驚きや気づきを内包した、懐の深い美が生まれるんじゃないかなと。
私はデパコスを手にしたときのときめきや、最新技術から生まれる商品のよさを知ることができたけど、
オーガニックコスメに出会ってから、美容もゆるっと、心地よさを重視するようになりました。
メイクを盛り過ぎなくなったのは年齢的なものもあるでしょう。
どうふんばっても20代の肌にも戻れないのだから、その時の年齢でベストな状態でいたい。
ベストじゃなくても、そういうときもある、と自分を許してあげられる。
歳を重ねるっていいこともたくさんありますね。
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